概要(わたしたちのこと)
小さなお葬儀屋ができるまで
さようならの時間も、あなたらしく。
あの時の後悔が、今の私たちをつくりました。
ツナグ葬祭は、奈良のちいさな町で夫婦ふたりではじめたお葬儀屋です。
それぞれが大切な家族を見送った経験から、この道を歩むことになりました。
妻の場合
父を亡くしたのは中学3年のときでした。
悲しくてたまらなかったのに、虚勢をはって周りに気を遣い、
「悲しい」と口にすることさえできず、お別れのことは何一つ記憶に残っておらず、後悔だけが残りました。
母を見送ったのは26歳のとき。喪主を務めましたが、あまりに忙しすぎて、
母の顔も、何を棺に入れたのかも・・・何一つ覚えていません。
気がつけば葬儀は終わり、見積もりより50万円も高い請求書だけが手元に残り、
お別れの記憶は空白のまま。いやな記憶と不信感と後悔だけが残るお葬式となりました。
後悔と罪悪感を抱えながらその後十数年の日々をただがむしゃらに過ごし、
納棺師という仕事に出会い、後悔や罪悪感と向き合うことに決めました。
会社員としての湯灌納棺師の時間は、仕事を覚え、目の前の業務としてではない部分を見れるようになってくると、ご遺族様の気持ちに寄り添うことと、組織の中で求められることが違っているという違和感が次第に大きくなってしまい、組織では私は活動できないと感じ退社し、数年後に葬儀社に勤めていた夫と納棺師として独立をしました。
ご遺族様の想いに寄り添うことを一番に考えた行動ができるようになり、とてもやりがいを感じる中、納棺師としてだけではなく、お葬儀のすべてをサポートさせていただきたいと思うようになりました。
私が望むお別れのサポートは、
- 誰も悲しみの中に置き去りにしないこと
- 悲しみを我慢させないこと
- 支払いの不安を抱えたまま葬儀をしないこと
- 「その人らしい時間」を大切にすること
- お別れに後悔を残さないこと
- 喪主様にもきちんとお別れの時間を持っていただくこと
これを一つ一つクリアにしていくために次のステップへ踏み出すことに・・・

夫の場合
夫は父を亡くしたとき、喪主を務めました。
何もわからず戸惑う中で、一人のスタッフがとても親切に寄り添ってくれました。
その方への感謝の気持ちが強く残り、
「自分もいつかこういう仕事をしたい」と思ったのです。
その後、大手葬儀社で葬儀の担当に携わりました。
大手だからこその安心感や力強さを知る一方で、
理不尽な現実にも直面しました。
葬儀式のお世話をさせていただいている時、
湯灌や納棺の時間が、バタバタと過ぎ行く
葬儀の時間の流れの中で、唯一ゆっくりと故人様と向き合える尊い時間
だと感じることが多くありました。
そして会社を辞めるタイミングで、
「二人で納棺師として独立しよう」と考えたのです。

そしてツナグ葬祭へ
それぞれが抱えてきた原体験と想いが重なり、
まずは、2021年に納棺師として独立をしました。
ありがたいことに、順調にご依頼をいただき、活動を続ける中で、
「納棺の時間だけではサポートに限界がある」と感じることも増えてきました。
ちょうどその頃、古式湯灌でお世話になっていたお葬儀屋さんから、
「お葬儀もやってみれば」と温かい声をかけていただきました。
私たちも、もし最初から最後まで寄り添えたなら、
ご家族の安心がもっと深まるのではないか。
後悔を少しでも減らすお別れのお手伝いができるのではないか。
そう考えるようになりました。
そして独立してから約2年半後。
「ツナグ葬祭」をスタートさせることにしたのです。

今・・・ツナグ葬祭の形
今、私たちは奈良県内の「火葬式」「一日葬」「二日葬」「家族葬」「自宅葬」など、
形式にとらわれずにご遺族様の想いに寄り添ったお見送りをお手伝いしています。
専属の納棺師としても、整顔やメイクを行い、
音楽や思い出の品を添えて「その人らしさ」を大切に見送る。
大きな会館ではなくても、ご自宅や身近な場所で、
ゆっくりと心を込めたお別れを重ねてきました。
これからも
合理的でなくてもいい。
大きくなくてもいい。
最後までその方らしく見送れるように。
最後までご家族の想いを大切にできるように。
心がふれあうような「さようならの時間」を、
これからも丁寧に届けていきたいと思っています。
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